★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

熱球通信は、秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログで、記録等については公式なものではありません。リンク等オールフリーですので事前のメール等一切不要です。、更新頻度は原則毎日ですが、秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していますので、内容等一部については地元情報より遅れる場合があります。練習試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

記憶残る選手

制球力抜群 / 金足農、社会人野球 TDK千曲川・TDKで活躍した遠藤成人投手。

9c52dcd1-s<スポーツ紙報道> 安芸キャンプの見学に訪れた阪神ドラフト4位の東海大相模・遠藤成内野手(18)が「盗塁王」を目標に掲げた。紅白戦で積極的に盗塁を狙う先輩たちを間近に見て「近本さんからいろいろ吸収して、盗塁王になれるように頑張ります」と目をキラキラ。1年目でセ・リーグ盗塁王に輝いた近本は、最高のバイブル。持ち味の打撃だけでなく走塁にもこだわる意気込みを強くした。及川、小川、奥山の3選手も充実した2日間の見学となった。【2019.8.12】TDK千曲川、TDKで活躍した遠藤成人投手、NTT信越、JR東日本東北の補強選手として都市対抗出場。 BALL PARK AKITA <精密機械> で紹介。<平成元年夏金足農登録選手、翌年春に秋田経法大付と2校センバツ大会出場>[投]遠藤成人(3、左左、174/61、下浜)、[捕]菅原正明(3、羽城)、[一]北林正憲(2、上小阿仁)、[二]田村伸(3、秋田南)、[三]藤原英志(3、秋田北)、[遊]○佐藤敏行(3、秋田東)、[左]榎敬(3、御野場)、[中]中泉一豊(2、秋田北)、[右]三浦松之(3、大潟)、菅原香樹(3、羽城)、大石栄喜(2、八郎潟)、伊藤誠(1、山王)、原田直幸(2、五城目一)、伊藤忍(3、豊岩)、船木和人(3、秋田北)、出原良博(2、御野場)、沢木正博(3、男鹿東)、[部]豊島君男、[監]嶋崎久美。

秋田県高校野球ライバル物語 / 成田 昇(能代-峰浜)-村上鉄也(能代-鷹巣)。

- レギュラー平均 177.7cm 73.5kg  -
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昭和54年7月「我れらの野球部 秋田県高校野球一校一話」(秋田文化出版社)。

yabase<印象深いホームラン>夏の大会以外で私の印象に残っているホームランは木製バット時代、春の全県選抜で大館鳳鳴対金足農の試合で八回裏4対1で敗色濃厚な金足農が阿部の逆転満塁ホームランで一挙に5対4とし好投手阿部を打ちくだいた一発はスリリングなホームランとして印象深い。又、現在ロッテで活躍している、落合(秋田工)が中央地区大会で秋田南の天野からから打った逆転ツーランホームランは右打者が八橋球場ライトのポール内側二メートルの所へ打ったものだった。右打者の打球は、あの辺でたいてい外側にそれてファールになるのだが、切れずにスタンドへ入ったのは当時から非凡な打者の片りんをうかがわせるものであり、社会人実業団野球で60数本のホームランを打ちその多くはライトへのホームランというのもうなずけるものがある。金属製バットになってからはホームランの乱発になり、印象も散まんだが、春の全県選抜で武藤(秋商-法大)の2打席連続ホームランはすばらしい当たりで、両方とも県立球場の左中間中断へ打ち込んだもので、2本目は左翼スタンドにいた観客が素手でこの打球を見事フェアキャッチしたというおまけつきである。豪快な一打と言えば秋の中央地区で斎藤正直(秋田-専大)が工藤から八橋球場のバックスクリーンへのライナーのホームランだろう。バックスクリーンの前の金網の五、六〇センチ上を通過、そのままバックスクリーンを直撃。私の見たホームランでは最高の打球であったと思う。(原文)

平成11年センバツ / 金足農 腰丸亮太二塁手(八竜) - 高橋東健遊撃手(川内)。

・腰丸亮太選手 追分野球スポ少監督 2019高円宮賜杯秋田県大会出場・
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-東健の読みは 「もとたて」-

秋田南高-秋田大-秋田王冠クラブ-NOMOクラブ-BCリーグ 笹村浩介選手。

詳細は 2017 BALL PARK AKITAにて <野球が教えてくれたこと>
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本荘高校工藤幹夫投手から決勝本塁打 福田泰弘捕手 (3、秋田市立-上小阿仁)。

huku2019令和元年第101回大会、甲子園球場で秋田中央戦を観戦予定。【2018.5.21】秋田市立は決勝で秋田に4-2で逆転勝ちして5年ぶりの中央地区大会優勝。卒業後、佐藤秀明投手と東洋大進学。< 昭和53年当時の新聞記事より抜粋> 春季中央地区大会、県立球場の本荘-秋田市立は、延長10回、市立が5番福田の本塁打で粘る本荘の追撃をかわした。本荘にとって惜しまれるのは9回裏の攻撃。四球と連続二塁打で2-2の同点に追いつき、なおも一死1、3塁。しかし、三走が市立福田捕手の好送球に刺され、後続も凡退し一打サヨナラの好機を逃がした。[秋田市立] 佐藤秀、熊谷-福田、[本荘] 工藤-渡部。・和53年春秋田市立登録選手 [投佐藤秀明(3、土崎)、[捕]福田泰弘(3、上小阿仁)、[一]小野士(2、八郎潟)、[二]加賀谷一(3、外旭川)、[三]長谷川浩靖(3、秋田南)、[遊]佐藤重樹(3、川内)、[左]石川光一(3、戸賀)、[中]金子里志(3、天王)、[右]○中川透(3、土崎)、小玉竹志(3、男鹿東)、熊谷正人(3、河辺)、柿田淳(3、土崎)、加賀徹(3、湯沢北)、長谷川隆浩(3、土崎)、佐藤善紀(2、秋田南)、森元忠浩(3、土崎)、坂谷浩英(3、五城目一)、戸来洋二(3、秋田西)、福田久雄(3、土崎)、中津川辰裕(3、東由利)、[責]杉山久夫、[監]塚田丈也、[記]加藤敦(2、土崎)。

ユニキャラで記録ホルダー / 菅原勝矢投手(巨人-東京農業大中退-鷹巣農林)。

bc87349b-s<スポーツ紙紹介、一部略> 長い巨人の番記者生活で、この男ほど波瀾万丈の道を歩んだ選手を知らない。菅原勝矢投手、秋田県立鷹巣農林高から東京農大を経て、昭和41年に巨人に入団、現役8年間で33勝8敗、防御率2.98という成績を残している。秋田県大館市の農家に10人兄弟の9番目として生まれた。兄弟で高校へ進学したのは彼ひとりという極貧の環境だったが、「どうしても野球がしたい」 と東京農大へ。ところが、1年目の春のリーグ戦に3勝をあげ、素質を見抜いた巨人の青木宥明スカウトにくどかれると、家計を助けたいと大学をスパッと退学、プロの水に飛び込んだ。ずんぐりむっくりの体形、赤い頬、ズーズー弁、まるで砲丸投げのようなぎこちない投法・・・・。チームメートだけでなく、番記者からも好かれるキャラクターだった。ニックネームは 「ガービー君」 。東北なまりが消えず、「カーブ」 が 「ガービー」 に聞こえるからだった。入団当時は速球だけだったが、カーブ、スライダーと球種を増やすにつれて成績も上昇し、41年に初勝利、42年には11勝4敗という好成績をマークしている。この間、なぜか菅原には珍記録がついて回った。まず、プロ入り初登板だった41年8月21日のサンケイ戦で、初勝利が完封勝ち。神宮球場が初めてなら、ナイターも初体験だった。2勝目となった42年5月15日の阪神戦は、ノーヒットノーラン目前の1安打(1四球)完封という離れ業だった。さらに意外だったのは5年がかりの11連勝。これだけ間隔をあけながらの記録だと、うっかり見過ごされかねないほど、珍しい記録といえる。巨人投手の連勝記録は松田清の19連勝、初登板から無傷の連勝としては41年の堀内恒夫の13連勝だが、いずれも短期間でマークしたもの。菅原のような例はあまりない。理由は簡単。活躍→抜擢→故障→空白→活躍→このサイクルの繰り返し。さまざまな故障に泣かされ、ブランクは長かったが、久々に登板となってもなぜか負け投手だけにはならなかった。ついているのかいないのか? まったく不思議な男だった。その11連勝は43年から始まった。6月30日の大洋戦完封勝ち(後楽園)が華々しい? スタート。ところが2連勝目が9月21日の中日戦(中日)。なんと84日ぶりの白星だった。この間、菅原は原因不明の故障に悩まされていた。背中の筋肉が硬くなり、投げているうちに「背中がつる」(筋肉の収縮現象)のである。「人には説明できないですね。いくら話しても実感してはもらえないでしょう」 と、菅原は童顔を曇らせるだけだった。それでも体調がよくなった秋には、阪神戦(9月28日)、広島戦(10月10日)と連勝を伸ばしてみせる。「もう大丈夫。ローテーションの一角をまかせる」 と、川上監督を喜ばせた44年と45年には勝ち星なしの2軍生活。理由は前回と同じ背中の筋肉がつる奇病だった。大学時代から交際していた美代子さんは44年、結婚したとたんに近所のお地蔵さんに通うのが日課になってしまった。そして46年後半に4連勝すると、47年は開幕からエンジン全開で4月22日の3勝目で、延べ11連勝をマークした次第。もうひとつの珍記録がある。これは42年8月15日の阪神戦(後楽園)だった。8回2死から金田正一投手が負傷降板し、菅原がリリーフ。藤田平を1球で左飛に打ち取った。その裏、巨人は2点を取って逆転。打順が回ってきた菅原には代打が送られ、9回は中村稔が抑えた。これにより38年8月21日の近鉄・ミケンズ、41年8月26日の中日・坂東英二に次いでの 「1球で勝利投手」 に。

平成30年1月~ 秋田さきがけ 「シリーズ時代を語る / 田村忠嗣」 今川敬三投手。

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名前が 「志」 で終わる秋田県関係野球指導者・選手 (平成31年3月現在、38名)。

si・安保天志(平成25年由利監督、能代-阿仁一)、・石井温志(外、能代、甲子園出場)、・伊藤将志(専大北上-横手北)、・伊藤元志(内、秋田-男鹿南、甲子園出場)、・岩谷剛志(捕、秋田商-土崎)、・遠藤正志(外、本荘-象潟、八橋球場本塁打)、・景山貴志(外、経法大付-八郎潟、甲子園出場)、・金子里志(外、秋田市立-天王)、・鎌田健志(天王南中監督)、・川北篤志(内、経法大付-金浦)、・木村大志(外、秋田北鷹-合川)、・小玉竹志(投、秋田市立ー男鹿東、金子里志選手と同期)、・児玉武志(内、青森大-秋田商-勝平、秋田北シニアコーチ)、・小玉正志(外、秋田-五城目一)、・児玉将志(内、金足農-五城目一、甲子園出場)、・斎藤正志(内、仁賀保-金浦、選手権秋田大会サヨナラ本塁打)、・嵯峨一志(内、秋田工-太平、八橋球場本塁打)、・佐々木大志(投、金足農-城東、甲子園出場)、・佐々木千代志(元大曲工監督、日本高野連育成功労賞受賞)、・佐々木雄志(内、秋田商-勝平、甲子園出場)、・佐藤高志(内、秋田商-太平、甲子園出場)、・三戸仁志(外、秋田-八郎潟、甲子園出場)、・高松直志(投、能代-山本、甲子園出場)、・田村威志(西仙北-西仙北東)、・遠山比呂志(内、酒田南-岩城、甲子園出場)、・中嶋健志(投、能代商-能代一、甲子園出場)、・夏井一志(内、秋田商-天王、甲子園出場)、・半田貴志(内、経法大付-井川、甲子園出場)、・藤田健志(内、能代松陽-能代南、選手県秋田大会準優勝)、・藤田大志 (32、消防士長、平成31年1月22日、能代市富町住宅火災で消火活動中に殉職、能代-二ツ井、平成19年採用、勤続12年目、合掌)、・藤谷弘志(500歳野球大曲ク、秋田還ク、秋田県初少林寺拳法8段正範士)、・藤原英志(内、金足農-秋田北)、・船木正志(秋田南中監督)、・堀江岳志(能代二中監督)、・山岡政志(投、秋田商-下浜、甲子園出場)、・山田久志(投、能代-能代二、プロ野球名球会)、・山谷勝志(外、秋田-協和、甲子園出場)、・米村洋志(内、経法大付-山王)。※順不同、自薦他薦お願いします。

日本学生野球協会表彰(高校) 高木昇捕手(秋田)~佐々木大夢外野手(金足農)。

<熱球通信> 1975~1984(昭和50年代)秋田県内高校野球記憶に残る選手。

77<投手> 高松直志(能代、76-78)、高山郁夫(秋田商、78-80)、小野和幸(金足農、78-80)、水沢博文(金足農、82-84)外、工藤幹夫(本荘、76-78)、松本豊(経大付、79-81)、桜庭広喜(金足農、79-81)、山岡政志(秋田商、74-76)、<捕手> 長谷川寿(金足農、82-84)、東海林憲昭(能代、75-77)、後藤浩(秋田商、74-76)、立花俊幸(秋田、81-83)、山岡長英(秋田、74-76)、佐藤純一(大曲、76-78)、藤田公昭(秋田商、82-84)、<一塁手> 石井浩郎(秋田、80-82)、鈴木善久(金足農、82-84)、熊谷和秋(秋田商、78-80)、斉藤孝浩(経大付、79-81)、細川学(能代、78-80)、<二塁手> 佐々木直行(経大付、80-82)、佐藤俊樹(金足農、82-84)、高橋徳之(秋田商、78-80)、佐藤義己(秋田商、77-79)、五十嵐義政(秋田商、73-75)、<三塁手> 大山等(金足農、82-84)、畠山親浩(能代、77-79)、菅原一夫(秋田商、77-79)、佐藤強(秋田商、74-76)、<遊撃手> 工藤浩孝(金足農、82-84)、船山昌樹(能代、82-84)、猿田和三(秋田、79-81)、尾留川徹(本荘、76-78)、佐藤薫(能代商、80-82)、鈴木亮(秋田、82-84)、杉山信哉(秋田商、80-82)、藤原順(秋田商、79-81)、高桑仁(秋田商、75-77)、<外野手> 武藤一邦(秋田商、74-76)、斉藤正直(秋田、76-78)、景山貴志(経大付、80-82)、原田好二(金足農、83-85)、鈴木寿(経大付、79-81)、高田敏夫(能代、78-80)、三浦英美(秋田商、78-80)、鈴木光一(秋田、77-79)、湊学(秋田、82-84)、京屋建司(能代、80-82)、京春木(能代、78-80)、佐藤康二(秋田商、78-80)。※順不同、ポジション重複選手は主要ポジションで表示、誤字脱字・訂正・追加 迅速対応。

同級生秋田商佐藤剛士/ ピッチング見てたら佐藤が凄いのはもちろんなんやけど。

<ダルビッシュ有> https://twitter.com/faridyu
佐藤剛士(上新城)-大高佑公(峰浜)

キャッチャーのフレーミングが凄い。15年前だと思えないレベル

平成10年夏秋田大会決勝戦 金足農劇的逆転、17-16で秋田商との死闘制す。

金足農 代打金田一浩選手(3、合川) 値千金の同点打。
17-16

2018(平成30年度)第100回全国高校野球 金足農 川和田優斗選手(3、山王)。

2018(平成30年度)第100回全国高校野球 金足農 川和田優斗選手(3、山王)。

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2018(平成30年度)第100回全国高校野球 金足農 川和田優斗選手(3、山王)。

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1、2年時だけで完全試合2回 作新学院 江川卓投手/大学受験会場が一緒でした。


亡き父に贈る優勝/北海道六大学野球 函館大 小林俊己主将 (能代松陽-八森)。

hakodate大学卒業後社会人野球 室蘭シャークス で野球継続。【2017.9.28】<北海道新聞より> 「天国にいる父に良い報告ができます」。北海道六大学野球秋季リーグが9月26日、苫小牧市とましんスタジアムなどで行われ、函館大が2011年以来、12季ぶり9度目の優勝を果たした。主将としてチームを引っ張った3年の小林俊己選手(21)=秋田・能代松陽高=は、東日本大震災の津波で亡くなった父・正さん=享年(50)=と、その後の家族を支えてくれた母・郁子さん(52)に感謝を述べた。勝てば優勝する最終戦は延長十一回までもつれる接戦。小林主将は先制打を放つなど、2安打1打点と躍動した。1点を追う九回には50メートル5秒9の俊足を生かして内野安打で出塁し、同点のホームを踏んだ。外野手として道六大学の今季ベストナインにも選ばれた。小林選手は小学4年の時、兄尚平さん(27)の影響で野球を始めた。父の正さんは野球経験はなかったが、投球練習の的を手作りするなどして小林選手を応援した。しかし、小林選手が中学2年だった11年3月11日、正さんは秋田の自宅を離れ、建設作業員として仙台で海上工事に従事していた。津波にのまれ、遺体は福島県で見つかった。ショックは大きかったが小林選手はすぐ野球の練習を再開した。「野球で良い結果を残して、父に恩返しをしたかった」。高校卒業後は先輩を頼って函館大に進学。今春に野球人生初の主将を任され、まじめな人柄と外野からでも響く大きな声でチームをまとめている。父の死後は母の郁子さんが家族を支えた。介護事務員として小林選手の弁当作りを欠かさず、姉と兄の3人の子を育てた。この日は秋田県からフェリーと車で苫小牧を訪れ、「優勝は誇らしい。父も喜んでいると思います」 と話した。

チョコパンさん個人的印象 / 2016(平成28年)秋田県高校野球三大個性派球児。

由利工業 大竹慎司くん https://twitter.com/smalto19
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-右右、三塁手、164/86、出羽-

守備堅実/声が通る/矢のような送球/体型魅力 4拍子揃 大竹慎司選手(由利工)。

社会人野球 秋田王冠クラブで野球継続
平成28年 由利工 大竹慎司三塁手(3、右右、164/86、出羽)
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チョコパンさん個人的印象 / 2016(平成28年)秋田県高校野球三大個性派球児。

秋田南 三國谷修平くん https://twitter.com/smalto19
Dw4Eiu9U8AYNgGY
-右右、捕手、168/75、飯島-

チョコパンさん個人的印象 / 2016(平成28年)秋田県高校野球三大個性派球児。

湯沢翔北 町田優樹くん https://twitter.com/smalto19
Dw4EkftUcAEf_qO
-右右、捕手、170/82、雄勝-

能代商スーパー中継プレーでサヨナラ負けを2度阻止 (甲子園、観衆47,000人)。

松山商矢野外野手本塁バックホームに匹敵するプレー 

2011(平成23年)第93回全国高校野球大会 能代商 平川賢也捕手(2、二ツ井)。

-能代商業高校甲子園大会躍進の原動力-
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2003(平成15年)第85回全国高校野球選手権 秋田高 佐藤裕輝投手(御野場)。

秋田(佐藤裕-佐藤翔)2-3天理 3回までの3失点が最後まで響く
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第100回全国高等学校野球大会14日目 8月18日(土) 第4試合 金足農-近江。

9回裏無死一塁 斎藤璃玖選手 スクイズ成功予感
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元プロ選手教えるスクール 紀伊バッティングスタジアム 中川申也投手(経法大付)。

fbf725f1<スポーツ紙>平成最後の夏の甲子園で秋田県勢は第1回大会以来、103年ぶりとなる決勝に駒を進めた。吉田輝星 (日本ハムドラフト1位) 擁する金足農の快進撃に日本中が沸いた。その秋田代表として今から30年前の平成元年、甲子園に旋風を巻き起こした1年生エースがいた。1年夏の4強から3季連続で聖地の土を踏み、その後阪神に進んだ “元祖・秋田の星” 中川申也氏が、フィーバーに振り回された野球人生と秋田の高校野球への思いを明かした。「秋田の人はあんまり僕のことを好きじゃないと思いますよ。生意気だったし、調子に乗ってやりたい放題で評判も悪かった。早い話がてんぐになっていたってことです」 中学時代の実績を買われて鳴り物入りで秋田経法大付属 (現明桜) に進学した中川氏は、背番号11ながら1年生エースとしてチームを甲子園に導く。初戦の出雲商戦で完封勝利、3回戦の星稜戦では名門の意表を突く本盗で接戦を制し、瞬く間に4強へ駆け上がった。「印象深いのはやはり初戦。甲子園はスタンドが広くて、そのぶん打者までの距離が短く感じた。1人目を打ち取ったら、もう緊張はなかった。星稜戦はね、俺が 『(相手の) 左ピッチャーなんか打てん』 と言ったら、前夜に監督とコーチが風呂場で 『もうホームスチールしかないやろ』 と。走者も最初はサインの意味がわかっていなくて、3球目でようやくスタートを切ったんです」 準決勝で吉岡雄二 (現日本ハムコーチ) 擁する帝京に敗れたものの、甘いマスクの1年生エースは “東北のバンビ”として一躍アイドルに。それまで田舎の高校生にすぎなかった生活は一変したという。「喫茶店もタクシーも全部タダ。『うちの娘が大ファンだから、サインくれたらタダでいいよ』 って。悪いやつにもよく絡まれたな。あるとき地元で有名な暴走族の総長がずっと練習を見に来よって 『あちゃ~、俺なんかしたかなあ』 と思ってたら 『お前のファンや、何かあったら俺に言え』 って。それから絡まれることはパタッとなくなりましたね (笑い) 」その後も2年春、夏と聖地の土を踏んだが、3年の夏は県大会決勝で敗退。ドラフト5位で阪神に入団するも1年時からの投げ過ぎがたたり、一軍の舞台で投げることなくユニホームを脱いだ。「確かに俺はてんぐになっていた。でも、そうさせたのはマスコミも一緒。『何でそんなに体大きくなったの?』 って聞かれて、冗談で 『メシやないです、女いっぱい食ったんすよ』 って言ったのを、本当に書くかと (笑い)。まあ、今となっては笑い話ですけどね」退団後は建設会社に入社。子供が野球を始めたのを機に、今では野球教室で少年たちに指導を続ける。「秋田にもユニホームで勝てるチームが出てきてほしい。帝京、横浜、星稜、大阪桐蔭。どこも整列しただけで威圧感があるでしょ。『秋田と当たってラッキー』 と思われるようじゃ、その時点で負けも同然。せっかく金足農があそこまで行ってくれたんだから、金足農でも明桜でも秋田商でもいい、常連チームが出るようになってくれれば。そうすれば打倒○○!って、県全体のレベルも上がりますから」 金足農が思い起こさせた30年前の秋田の躍進。“元祖秋田の星” は、フィーバーのその先を願ってやまない。1973年6月30日生まれ。秋田県横手市出身。山内小4年時に同校のクラブで野球を始める。山内中では軟式野球部。秋田経法大付 (現明桜) 進学後、1年夏、2年春、2年夏と3季連続で甲子園に出場し、1年夏は4強。91年ドラフト5位で阪神入団。95年の引退後は建設会社に勤めるかたわら野球教室を開き、少年野球の指導にあたる。176センチ、78キロ。左投げ左打ち。

2018年3月/日本高等学校野球連盟 秋田中央高校と秋田修英高校を善行表彰。

zen秋田中央 加賀谷千太(内、秋田北)・冨樫颯(捕、秋大付)選手 北海道学生野球連盟所属函館大進学。【2018.3.08】表彰選手 / 秋田修英 石野谷昂典 (3、将軍野)、秋田中央 柳澤怜 (2、天王南)、加賀谷千太 (2、秋田北)、伊藤真那斗 (2、秋田北) 選手。【2018.3.07】日本高校野球連盟は3月7日、秋田中央高校と秋田修英高校の野球部員による善行を表彰することを決めた。表彰状と記念品 (ボール1ダース) を贈る。高野連によると、昨年10月25日午後6時ごろ、秋田中央の部員3人と秋田修英の部員1人が、秋田市内の一般宅の玄関で、倒れて立ち上がれないでいる女性 (93) を発見。女性は玄関先で自宅の鍵を探していた際、つまづいて転倒、頭を強打し、前後の記憶があいまいであることから、救急車を呼ぶなどの人命救助を行ったという。その様子を見た付近の住民が4人に学校名や名前を聞いて女性の家族に伝えたところ、両校に礼状が届いた。

秋田県高野連平成30年度優秀選手/吉田輝星、西岡海斗、児玉拓海、泉大成選手。

-金足農(佐々木大夢主将)・能代軟式(大山椋也主将)東北地区表彰-
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秋田県高野連 平成28年度優秀選手賞 / 関弘夢(大館桂桜)、小木田敦也(角館)。

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NPO法人秋田県野球フォーラム 備忘録 「熱球通信1,000人アンケート」 実施中。

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-第1弾アンケートよりの抜粋-
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<秋田県出身の慶應義塾大学OB選手> 猿田和三内野手 (主将、秋田-豊岩)。

36811088平成30年9月39日TBS系列 「消えた天才」長嶋一茂氏が紹介するのは猿田和三選手 (秋田高校~慶応義塾大学)。・猿田三兄弟としても有名、東京六大学で早稲田大石井浩郎選手と対戦。BALL PARK AKITA で詳しく紹介 ~野球が教えてくれたこと~昭和62年度慶応義塾大学主将、5番三塁手として活躍、大学3年秋首位打者、ベストナイン2回。八橋球場の思い出 「八橋での多くの好投手との対戦が忘れられません」。<昭和56年春秋田高校登録選手> [投]石井浩郎(2、八郎潟)、[捕]鈴木彰(3、秋田北)、[一]伊保谷徹(1、山王)、[二]高橋誠(2、秋田西)、[三]三浦純也(2、秋田西)、[遊]○猿田和三(3、豊岩)、[左]住吉浩鹿(2、秋田西)、[中]稲垣寿(3、秋田西)、[右]菅原謙二(2、羽城)、天野清美(3、秋田東)、石井浩次(3、雄和)、佐々木誠(2、羽城)、立花俊幸(1、城東)、小野武紀(3、土崎)、伊藤元(2、秋田南)、浅野英樹(3、五城目一)、菅原文夫(3、山王)、[責]竹内一朔、[監]大久保正樹、[記]沢田石辰美(3、五城目一)。

<秋田県出身の慶應義塾大学OB選手> 猿田和三内野手 (主将、秋田-豊岩)。

 


 

<秋田県出身の慶應義塾大学OB選手> 猿田和三内野手 (主将、秋田-豊岩)。

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秋田商で甲子園出場 / 菅原達郎さん(36) 抜群の練習環境でスポーツ合宿誘致。

学法石川(福島)、浦和麗明(埼玉)、盛岡工(岩手)
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追分駅前/「秋田県立金足農業高校野球部応援団」と言えばこの方 藤原正三さん。

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追分駅前/「秋田県立金足農業高校野球部応援団」と言えばこの方 藤原正三さん。

-若かりし頃の藤原正三さん ご本人は秋田高校OB (柔道部)-
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金足農業高校野球部 佐々木大地投手追悼試合 (7/5、大曲球場、盛岡北高校)。

20140705[中]○大山光平(3、秋田東)-[右]石黒亨(3、秋田西)-[左]藤平泰正(3、大潟)-[遊]村上大成(2、羽後)-[投]堀井冬哉(1、雄和)-[捕]岩谷俊(3、八竜)-[一]村田聖(2、天王南)-[三]佐藤晟矢(2、雄和)-[二]吉田塁(3、男鹿東)。平成25年7月30日急性白血病により他界した佐々木大地選手の追悼試合。<平成24年度秋季中央地区大会金足農業高校登録選手> [投]木場涼佑(2、桜)、[捕]佐々木広夢(2、太平)、[一]高橋良太(2、泉)、[二]北嶋武徳(2、八郎潟)、[三]照井康太(2、仙南)、[遊]石田光輔(2、御野場)、[左]田村開(2、太平)、[中]○高橋亮太(2、御野場)、[右]柴田龍志(2、五城目一)、三浦陽平(2、太平)、佐々木大地(1、左左、南外)、佐々木泰知(2、天王南)、加藤天斗(2、藤里)、斎藤航平(2、井川)、水沢瑞貴(2、秋田北)、小沼直也(2、城南)、村上健(2、大潟)、岩谷俊(1、八竜)、大山光平(1、秋田東)、三浦圭介(2、八竜)、[責]近江広和、[監]嵯峨育生、[記]金子周介。

2011(平成23年)第77回秋田県少年野球大会大曲仙北3区準決勝 南外-協和。

nangai2011(平成23年)第77回秋田県少年野球大会大曲仙北3区準決勝 南外中学校-協和中学校で南外中佐々木大地投手(3、左左、南外西)が協和中打線を散発2安打に抑え完封勝利、地区大会決勝は南外1-3西仙北東。<平成23年夏 大仙市立南外中学校登録選手、平成16年第70回記念大会今野投手を擁して全県優勝> [投]佐々木大地(3、南外西)、[捕]今野聖崇(3、南外西)、[一]佐藤航太(3、南外西)、[二]高橋大成(2、南外西)、[三]伊藤祥吾(2、南楢岡)、[遊]佐藤快斗(3、南外西)、[左]高橋卓(3、南外西)、[中]○佐々木克尚(3、南外西)、[右]伊藤優作(3、南外西)、加藤慎也(3、南外西)、伊藤匠吾(3、南外西)、工藤知樹(2、南楢岡)、佐藤幸典(2、南外西)、伊藤遼太(2、南外西)、加藤大和(2、南楢岡)、佐藤陣(2、南外西)、伊藤拓海(2、南外西)、佐藤凌(2、南楢岡)、佐々木敬章(2、南外西)、相馬舜平(2、南楢岡)、[責]細谷秀円、[監]佐々木慎英、[記]佐々木智哉(2)。

時代を築いた男達の今 / 松本 豊 投手 (横浜大洋-住友金属-秋田経大付-角館)。

-秋田ヤング(シーバズヤング) 作左部監督退任、松本豊コーチ 監督就任-
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元阪神ドラ1 藤田太陽さん(新屋-飯島) 富山のクラブチームにコーチ兼任で在籍。

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秋田商業高校投手陣黄金期 三浦清投手 (80、慶応大-日本石油・大昭和製紙)。

kiyoi秋田南中1期生。何よりも人材が揃っていた秋田商の同期三平晴樹投手 「3年の時は三浦清投手を擁して優勝間違いなしといわれたチームでした。春の全県選抜で優勝、さらに東北大会でも優勝しましたからね。」、急病で倒れた赤根谷飛雄太郎監督の後任佐川吉十郎監督 「当時のメンバーだったら全国の上位に進出しても何らおかしくはなかった。」 夏の県予選準決勝で秋田に1-2で惜敗し全国大会出場は逃がす。慶応大進学直後に結核で半年間入院、復帰後は主力投手となり、伝説の早慶66連戦にも先発。プロに誘われたが、利き腕の右肘を痛め断念、社会人野球の名門日本石油4年、大昭和製紙で1年プレーして現役を引退。1学年上に嵯峨健四郎投手(東映)、同期に三平晴樹投手(大毎)、1学年下に佐々木吉郎投手(大洋)。

記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

左 / 菅原圭介投手 (3、羽城)、右 / 木村雄太投手 (3、花輪二)
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平成7年夏第77回全国高校野球選手権大会 青森山田高校 山形洋、戸堀誠選手。

ayam第77回甲子園大会、青森山田 (2回目出場) は、初戦で尼崎北に延長13回サヨナラで勝利して同校甲子園初勝利。山形選手は4番一塁手で先発出場し、2試合で9打数4安打の成績。平成30年第84回秋田県少年野球大会2回戦で中仙中 山形琉唯投手完全試合達成。<平成7年夏青森山田高校登録選手> [投]大窪一朗(3)、[捕]小野泰弘(3)、[一]○山形洋(3、右右、176/76、中仙)、[二]伊木暢浩(3)、[三]中山元(3)、[遊]小野陽平(2)、[左]上原健一(3)、[中]伊藤博文(3)、[右]明平正和(3)、中谷幸治(3)、成田大樹(3)、加藤克志(3)、満田智之(3)、戸堀誠(3、右右、175/70、中仙)、浦田一夫(1)、遠藤暢彦(3)、[責]直川哲也、[監]五十嵐康朗。

熱球通信選出/1985~1994(昭和60年~平成6年)高校野球記憶に残る選手。

kanz第84回全県少年野球大会で中仙中学校山形琉唯投手完全試合達成、山内中学校中川申也投手以来30年ぶりの快挙。<投手> 小野仁(経法大付、92-94)、川辺忠義(秋田工、84-86)、水沢英樹(経法大付、85-87)、中川申也(経法大付-山内、89-91)、<捕手> 中嶋聡(鷹巣農林、84-86)、川村健司(秋田工、84-86)、高田環樹(秋田、84-86)、阿部茂樹(秋田、88-90)、菅原勇輝(秋田、90-92)、<一塁> 安保勲(経法大付、87-89)、長谷川和徳(秋田工、84-86)、若松寿樹(経法大付、85-87)、加藤孝也(能代商、83-85)、斎藤幸治(経法大付、89-91)、西田穣(秋田商、92-94)、<二塁> 佐藤幸彦(秋田、89-91)、工藤寿春(能代商、86-88)、桜庭裕也(経法大付、88-90)、岡本丈義(能代商、83-85)、桑原康成(秋田、92-94)、佐藤功徳(秋田商、92-94)、<三塁> 杉本正人(経法大付、88-90)、本多高生(大館鳳鳴、90-92)、遠藤国士(金足農、92-94)、<遊撃> 松岡勇樹(経法大付、87-89)、佐藤天(秋田工、84-86)、浅利昌彦(角館、85-87)、<外野> 大塚大(能代、90-92)、佐藤康典(経法大付、85-87)、小塚晃央(秋田、88-90)、児玉誠(能代、87-89) ※順不同、ポジション重複選手は主要ポジションで表示。

1996(平成8年) 夏甲子園秋田大会 サイクル安打達成 村井聖史選手(金足農)。

72e7994d-s山形鶴岡工5番打者遠藤正裕選手 (3年) サイクル安打達成、初回中前打、3回右中間二塁打、5回右中間三塁打、7回左越え2ラン2015.7.17】第97回全国野球選手権秋田大会3回戦対大曲(八橋)で西目4番佐藤泰成選手(内・投、3、象潟)が第1打席で場外本塁打、あと二塁打が出ればサイクル安打達成の猛打賞。【2010.5.15】1996(平成8年)7月20日、全国高校野球選手権秋田県大会2回戦対能代商戦(県立球場)で村井聖史選手(3、金足農-飯島)は、6番左翼で先発出場、右前安打、左中間三塁打、右越え二塁打と絶好調。そして迎えた9回表の第6打席でカウント2-3から逆風をついて本塁打を放ち見事サイクル安打達成。嶋崎久美監督も 「簡単にできるものではない。最後に本塁打で決めるとはたいしたものだ」 と褒めていたのが印象的。背番号2桁での登録が比較的多かったが年間通して実質不動のレギュラー選手。<秋田県立金足農業高校先発出場選手> [三]三浦和憲(3、合川)、[二]松橋順(3、飯島)、[中]加賀谷文規(3、秋田東)、[捕]阿部伸吾(3、五城目一)、[一]泉田透(2、男鹿東)、[左]村井聖史(3、左左、飯島)、[右]阿部直(3、天王南)、[投]工藤太一(2、河辺)、[遊]鎌田守(3、男鹿東)、○佐々木将(大内)、佐藤一徳(2、秋田東)、大友則明(2、大内)、津谷武輝(3、鷹巣)、藤原博成(2、天王)、佐藤佑(3、外旭川)、高野大(2、大内)、藤田千尋(3、井川)、加藤力(3、男鹿南)、[責]浅利吉晴、[監督]嶋崎久美、[記]江畑公一(2、男鹿中)。

あきた高校野球群像 / 節目第50回大会2本塁打 中島義博さん(67、秋田市立)。

秋田北中で昭和39年第30回全県少年野球大会出場 二塁手
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朝日新聞バーチャル高校野球/ 「運」 は5度やって来た 成田昇さん(能代-日大)。

12朝日新聞バーチャル高校野球  「九回表に運がいっぱい巡ってきたのです。風のいたずら、奇跡のスライディング--。どんどん勢いが出てきました」。1992年8月14日、第74回大会1回戦。能代は佐賀東に八回裏まで2-3と追い込まれていた。しかし最終盤に2得点して逆転勝ち。口火を切ったのが当時のエース、成田昇さん (43) だった。「運」 は5度やって来た。相手の球は、ほとんどがカーブ。能代打線はタイミングが合わずに苦労したが、その球の緩さを味方につけることになる。九回表。先頭の成田さんは泳がされ、打球は中堅に高く上がった。あきらめかけたその時、気まぐれな風が吹いた。勢いがないぶん、打球は押し戻された。深く守っていた中堅手が前へ。二塁手と遊撃手も追った。成田さんは3人の間に球が落ちるのを見た。二塁には誰もいない。「ラッキー」。迷わずに陥れた。次の運は犠打の後、1死三塁の場面。福司純一選手の打球は三塁へのゴロ。打球が速ければ、塁から離れていた三塁走者の成田さんがタッチアウトの可能性もあった。が、勢いは弱い。三塁手が前進して捕り、成田さんは手から帰塁、福司選手も内野安打で出塁した。3度目の運は、一塁代走の川原伸一選手が手にした。二盗を試みた際、捕手から二塁手に好送球が来た。しかし、間一髪でタッチをかいくぐった。四球で1死満塁。土崎諭史選手(現・増田監督)に4度目の運が訪れた。待っていたカーブが真ん中に来たのだ。右前安打で成田さんが同点のホームを踏むと、能代のアルプス席は「ワッショイ、ワッショイ」と一気にわいた。「ベンチもイケイケでした」 最後の運は、池端裕司選手がつかんだ。変化球に詰まり、ゴロが二塁手の正面へ。だが、打球が弱かったのが幸いした。池端選手は100メートル走11秒5の俊足なのだ。相手は一塁走者を二塁で封殺、すぐ一塁へ転送したが、池端選手が一瞬先に駆け抜けた。セーフ。併殺崩れの間に三塁走者の川原選手が生還し、ついに勝ち越した。九回裏。成田さんのマウンドさばきは落ち着いていた。大きく振りかぶり、185センチの長身から右腕を振り切る。2死二、三塁にされても焦らない。いつも通り、1球ごとにロージンバッグに触り、ゆったりした間隔で投げた。最後の打者を右飛に打ち取ると、バンザイして喜んだ。「どうしても1勝して校歌を歌いたかった」。能代にとって、夏の全国選手権では29年ぶりの勝利となった。チームが運に恵まれた理由は分からない。ただ「普段通りのことができれば、勝てる自信はありました」。3年生でも、部のトイレそうじを嫌がらずに続けた。仲間も、見えないところで努力したと思う。日常の心がけが、勝運を呼び込んだのかもしれない。今、能代西で監督を務める。「練習でできたことを試合で出せるように、部員の力を引き出したい」。夢は再びの甲子園。佐賀東戦で勝ったあと、2回戦は尽誠学園(香川)に0-7で完敗した。翌19日が誕生日だった。「部員たちを、あの場所に連れて行きたい。誕生日を甲子園で勝って迎えられたら最高ですね」(渡部耕平) 。峰浜村出身。峰浜中で全国大会出場。能代高、日本大を卒業後、秋田で高校教諭に。野球部監督として羽後、花輪で教え、2016年度から能代西、43歳。

創立120周年大館鳳鳴 / 藤盛樹 (3、三塁手)、柾 (2、捕手)、基 (1、投手)選手。

大館鳳鳴 藤盛 樹、柾、基選手 (樹選手 十和田中時代投手登録)
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASL6W7QFQL6WUBUB016.html
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昭和51年8月 奥羽大会 決勝で秋田に大差で勝利し 2年連続8度目甲子園出場。

八橋球場は土曜日、古豪同士の決勝となり観客数1万人以上
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秋田商山岡政志投手被安打3奪三振9の力投
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