★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

熱球通信は、秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログで、記録等については公式なものではありません。リンク等オールフリーですので事前のメール等一切不要です。、更新頻度は原則毎日ですが、秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していますので、内容等一部については地元情報より遅れる場合があります。練習試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

記録残る試合

記録に残る試合 / 2001(平成13年)全国高校野球秋田大会1回戦 秋田-平成。

akitaheisei2001(平成13年)7月14日、秋田県立球場。この日、公式戦初スタメンの秋田高校小野康太選手(1、泉)が、1-1の同点で迎えた5回表 (先頭打者) に左翼席に本塁打を放ち、流れを秋田に呼び寄せた (8回にも2点本塁打)。試合は5回の小野の本塁打以降打線が火を噴き14-3で圧勝。試合後の父巧監督のコメントは 「康太の打撃を買って先発させたが、いいところで打ってくれた」。この試合は、点差はついたもののコールドゲームにはならなかったという珍しい試合、2本とも低めの球をうまくすいあげたきれいな放物線を描いた本塁打だった。対戦相手平成高校佐藤幸彦監督 (東京学芸大-秋田-城東) は高校時代に小野監督の指導を受けた。<秋田高校先発> [遊]手塚隼也(2、大曲)、[二]佐藤衛(3、金浦)、[右]佐藤雄太(3、土崎)、[一]伊藤潤(3、大内)、[捕]○猿田宏貴(3、土崎)、[投]佐々木英人(3、大曲)、[中]目黒悟(3、男鹿東)、[左]南賢治(3、土崎)、[三]小野康太(1、泉)、岡部雄太(3、秋大付)、齊藤文洋(3、秋田東)、浜田浩二(1、羽城))、加藤達徳(2、払戸)、酒井宏徳(3、秋田東)、石井健介(3、秋田東)、太田朋孝(3、泉)、佐々木圭太(1、泉)、成田大(1、二ツ井)、秋山英慶(3、飯島)、木曽丈志(3、秋田東)、[責]小林正人、[監]小野巧、[記]泉徳人(3、大曲)。

記録に残る試合 / 2007(平成19年) 秋田わか杉国体(硬式) 金足農-佐賀北。

133242kokutai2007年夏の甲子園で優勝した佐賀北が、当時のエース久保貴大監督 (30) の下で5年ぶり5度目の甲子園出場。【2019.3.22】07年佐賀北の3番打者として、決勝で逆転満塁弾を放った副島浩史・唐津工監督 (29) が3月21日、佐賀ブルースタジアムで行われた九州高校野球佐賀大会1回戦で致遠館と対戦し、7-5で勝利した。昨年11月、副部長から監督に就任。一時勤めた佐賀銀行を退職してまで監督として高校野球の舞台に立った 「がばい男」 が、公式戦デビューを白星で飾った。【2018.6.22】第100回全国高校野球選手権佐賀大会。「がばい旋風」で2007年夏の甲子園優勝を果たした佐賀北のメンバーは、決勝で逆転満塁弾を放った副島浩史選手は唐津工副部長、エース久保貴大選手は母校佐賀北監督、真崎貴史マネジャーは杵島商監督。【2015.4.10】第62回国民体育大会高等学校野球(硬式)競技会(公開競技)、2007(平成19年)10月7日、こまちスタジアム、2回戦金足農-佐賀北。金足農が夏の甲子園覇者佐賀北(佐賀)に挑んだ一戦。試合は、先行した佐賀北を金足農が終盤7回に1点を返し詰め寄ったものの結局1-2で敗戦。天候に恵まれ観戦日和、金足農全校応援、完全ホームゲームで球場盛り上がる。金足農高橋健介投手完投。<秋田県立金足農業高校登録選手> [投]今野陽介(3、南外)、[捕]武田政宗(3、男鹿南)、[一]門間裕匡(3、羽城)、[二]山田大輔(3、八郎潟)、[三]須藤甲成(3、能代二)、[遊]○浅野高馬(3、井川)、[左]櫻庭啓修(3、山王)、[中]佐藤弘典(3、鳥海)、[右]佐藤龍(3、潟西)、栗木拓哉(3、秋田北)、高橋健介(2、井川)、齊藤竜也(2、将軍野)、高寺大介(3、南外)、船木拓美(3、男鹿南)、舩木敬弘(3、秋田東)、小松宏之(2、南外)。

秋田県立秋田南高校 甲子園まであと半歩 昭和61年夏 第68回秋田大会決勝戦。

s61秋田中央高校野球部長として甲子園出場。【2018.5.01】・秋田市立御所野学院 後藤弘康教諭 定期異動で平成29年春~秋田中央野球部長。<秋田南登録選手後藤弘康(3、182/70、大曲)、佐藤和博(3、秋田西)、塚田義浩(3、城東)、栗林律人(3、城南)、太田博史(2、秋田西)、川村幸治(3、秋田南)、石綿伸朗(3、東由利)、○宮腰亜希也(3、泉)、武田順一(3、男鹿中)、平沢貴(2、秋田北)、八端朝雄(2、払戸)、長谷川智(2、下北手)、野中仁史(2、秋田北)、佐藤強(2、城南)、高橋利光(2、城南)、梶原弘正(3、城南)、追留秀勝(3、山王)、[責]渡部久夫、[監]赤沼新二。<秋田工登録選手> 川辺忠義(3、城東)、川村健司(3、秋田西)、○長谷川和徳(3、土崎)、小形一成(3、土崎)、西村卓也(2、土崎)、佐藤天(3、泉)、佐々木勇人(3、城東)、南都一己(3、羽城)、船木吉秋(3、秋田東)、小田島務(3、協和)、千種一樹(2、八郎潟)、小玉匡仁(2、秋田東)、浅野聖(2、秋田西)、安田雄光(3、羽城)、塚田充秋(2、秋田西)、今野和義(2、平和)、鈴木正人(2、平和)、[責]安杖正昭、[監]石橋智。

朝日新聞バーチャル高校野球 / 昭和61年夏 秋田南高校 甲子園まであと半歩!

min秋田中央高校野球部長として甲子園出場。【2018.5.01】朝日新聞バーチャル高校野球/夏の甲子園の県代表の座は、球児にとって今も昔も最大の悲願だろう。秋田南は1964年の創部以来計3回、秋田大会の決勝に進んだ。だが、いまだに悲願はかなっていない。初の決勝進出は、第3シードで臨んだ86年の第68回大会。鋭いカーブが武器の本格派、後藤弘康さん (49) を中心に、並み居る強豪を制してきた。対する秋田工は、後にプロ入りする川辺忠義投手を擁し、チーム打率も3割5分を超えた。「相性が悪く、勝った記憶が無かった」。前日の準決勝からの連投だったが、赤沼新二監督からは 「死ぬ気で投げろ」 と言われていた。秋田南は初回から畳みかけた。川辺投手の直球を先頭打者がはじき返し、二塁打。犠打の後、3番打者の3球目。スクイズに慌てた川辺投手は捕球し損ね、内野安打に。先取点に秋田南のスタンドは沸いた。そこからは両投手の投げ合いとなった。後藤さんが意識したコースは外角低め。「『美学』 だからですよ。そこまで緻密には考えていなかったんです」。1点リードのまま迎えた5回、秋田南は1死一、三塁の好機を作った。後藤さんはスクイズを期待したが、サインは 「打て」。結局、右飛に倒れた。「まさに勝負のあや。少ない好機をもぎとらないと」 風向きが変わった。六回、被安打2だった後藤さんがつかまる。前日の準決勝で場外本塁打を放った4番打者に、意図せず四球を与えてしまった。一死一塁。「捕手で大柄」と無警戒だったが、初球で二盗を許した「チーム一の俊足だったそうです。情報不足だった」 5番打者は、第一打席に 「ど真ん中」 の直球で空振り三振していた。「今思うと、カーブだけをずっと待っていたんだと思う」 この打席。4球目の内角をえぐる縦カーブに、体勢を崩しながら食らいつかれた。打球は二塁手の頭上を越え、走者が一気に生還。試合は振り出しに--。7回、二死から打席に立ったのは秋田工の南都一己選手。カウントは3-1。外角低めを狙ったが、制球が乱れた。内角高めの球を振り抜かれた。左翼ポール際への本塁打。「こんなさばき方をするのか……」。淡々とベースを回る南都選手を見て、驚きとショックが入り交じった。最後まで追いつけなかった。「悔しさと疲れと、相手に向かい続けた孤独感があった」。ベンチの中で涙がこぼれ、宮腰亜希也主将と抱き合って泣いた。それでも、試合後の取材では 「このみんなで野球をやれて良かった」 と感謝の言葉があふれた。赤沼監督の誘いを機に、指導者の道へ。教員となった今でも、年3回は当時の仲間で集まる。「甲子園だけが全てではない。あうんの呼吸でわかり合える仲間を、卒業後も大事にしてほしい」(神野勇人) ※大仙市出身。明治大卒業後、角館や秋田工で監督や部長を務めた。昨春から秋田中央で部長。社会科教諭。49歳。

野球規則 / 2012(平成24年)8月13日甲子園大会 済々黌(熊本)-鳴門(徳島)。

352019秋田大会決勝 秋田中央-明桜、延長11回明桜の攻撃中、秋田中央が一死満塁でライトへの打球が飛んだ場面で野球規則 7・10(d) によるアピール (アウトの置き換え) プレーで失点を防ぐ。【2015.2.25】済々黌中村謙選手談 「小学校のとき、ドカベンを読んでルールは知っていました。(得点が) 認められるまでドキドキしましたけど。自分たちはあまり打てないので、そういうものでも点を取りたくて練習していました」。高校野球の古典漫画の名場面を全員で頭と体に刷り込んできた。<蛭間豊章 Baseball insideより抜粋> 8月13日の済々黌-鳴門は済々黌が鳴門に3-1で勝利したが、1点リードの7回、1死一、三塁から遊直が一塁に転送されて併殺が完成する前に、三塁走者が帰塁しないまま生還。鳴門のアピールがなく得点が認められて貴重なダメ押し点が入るという珍しいプレーがあった。済々黌が1死一、三塁から仕掛けたエンドランは、遊撃へのライナーに。鳴門の遊撃手が一塁に転送、飛び出した一塁走者は帰れず、併殺が完成した。一度はスコアボードの7回裏に0が入ったが、三塁走者が、一塁手の捕球より一足早く本塁を踏んでいた。鳴門が三塁に転送して 「三塁走者の離塁が早かった」 というアピールすれば良かった。西貝球審は、鳴門ナインがベンチに戻ったのを確認(アピール権消滅)して、得点が入った事を球場側に伝え7回裏に1が入った。「このルールは 『ドカベン』 を読んで知っていました。守備も走塁も練習していたので、迷うことなく走りました。自分たちの機動力野球の真骨頂というプレーができました」。しかし、その伏線は5回にまったく同じ状況で、三塁走者がホームをついた。この際に、球審に 「生還が早かったのでは」 と走者がアピール。これは認められなかったが、鳴門側が一切三塁走者に気を払っていなかったために、7回も三塁走者が遊撃ライナーを取られたのを見ても、走りを止めずにホームを駆け抜け、それを球審がしっかり確認していたようだ(記録は遊撃ライナーで打点1)。西貝球審は、即座に得点が入った経緯を場内放送で説明。それは相手の鳴門側を納得させるためというよりも、超満員に膨れあがったファンへの素晴らしいレクチャアになった。プロ野球では、退場処分などで場内アナウンスをするケースはあっても、野球規則に関して難しいプレーの際にこれだけ明瞭迅速に行われるのは稀だ。済々黌の選手に拍手を送ると共に球審の行動にも賛辞を送りたい。鳴門側から見れば、細心の注意を払えば防げた点なのである。新聞などで使っている 「ルールの盲点」 でも何でもない。これにより、野球規則に精通することの大切さを改めて知らされたプレーだった。

2018福井国体高校軟式野球/ 能代 児玉拓海投手 対河南戦無安打未得点達成。

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第100回全国高等学校野球大会14日目 8月18日(土) 第4試合 金足農-近江。


雪のため一時中断/プロ野球パ・リーグ公式戦 楽天-日ハム(4/02、楽天パーク)。

例年 秋田市内高校野球春季リーグ初戦 寒いという実感
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右/ 平成29年プロ野球 西武-ロッテ3回途中雨天ノーゲーム(6/27、那覇)

2019.8.02.Fri / 第81回全国高校野球選手権秋田大会 決勝再現試合 (八橋)。

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・決勝 / 秋田3-1鷹巣   ・決勝再現試合 / 秋田-鷹巣
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あきた高校野球群像 4 / 油断大敵 教訓を胸に 成田壮伸さん (鷹巣高-藤里中)。

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平成10年夏秋田大会決勝戦 金足農劇的逆転、17-16で秋田商との死闘制す。

sui佐山和夫著「野球、この美しきもの。アメリカン・ベースボールと秋田野球」(水曜社)でも紹介。平成10年7月26日 第80回全国高校野球秋田大会決勝 金足農-秋田商は、金足農が9回二死から驚異の粘りで5点を奪い、逆転勝ちして甲子園切符を手中に。試合時間3時間28分、金農18安打、秋商21安打、延長ではなく9回のスコアで17-16の両チーム29人出場総力戦。<審判団>主審:堀内、塁審:庄司、佐川、小玉。<ラ本>中川(金)、<三>畠山(金)、菅(秋)、<二>菅原、柴田、吉田(金)、菅、川守田、鎌田、佐々木雄、荻原、佐藤一(秋)、<金足農投手交代>畠山(4 1/3)-田口(0/3)-北嶋(3 2/3)-佐藤佑(1)、<秋田商投手交代>伊藤大悟(2)-信田道輝(2/3)-荻原雄介(6)-佐々木雄志(0/3)-小松一行(1/3)。<金足農業高校先発>[中]柴田千諭(2、仁賀保)、[二]矢嶋賢吾(3、男鹿北)、[捕]○吉田朋広(3、将軍野)、[左]佐藤佑(3、城東)、[右]奥善行(3、男鹿東)、[三]中川大輔(2、天王南)、[一]菅原義人(3、協和)、[投]畠山雄大(3、男鹿中)、[遊]腰丸亮太(2、八竜)、小松宏行(2、城東)、金田一浩(合川)、田口正也(3、河辺)、佐藤光栄(2、上新城)、吉山悟哲(3、大館一)、高橋東建(2、川内)、千田伸(3、八郎潟)、安田善八(3、男鹿北)、北嶋尚之(2、八郎潟)、藤原茂樹(3、角館)、安田一哲(3、山本)、[部]浅利吉晴、[監]嶋崎久美、[記]小林成光(3、天王南)。<秋田商業高校先発>[中]豊嶋雄樹(3、協和)、[二]鎌田信幸(3、城東)、[遊]○佐々木雄志(3、勝平)、[一]田村彰啓(1、西仙北東)、[三]船木直人(3、飯島)、[右]川守田寛(3、土崎)、[左]佐藤一弘(3、八郎潟)、[捕]菅哲哉(3、雄勝)、[投]伊藤大悟(2、城東)、信田道輝(3、西仙北東)、荻原雄介(3、秋田東)、佐藤卓生(2、天王)、佐藤素啓(3、城東)、佐々木偉幸(3、城東)、佐々木嘉晃(2、河辺)、佐々木隆太(2、泉)、薄田健(2、五里合)、小松一行(3、城南)、那須一巳(3、大正寺)、坂本敦(3、勝平)、[部]上杉清博、[監]小野平、[記]佐藤記一(3、土崎)。

平成10年夏秋田大会決勝戦 金足農劇的逆転、17-16で秋田商との死闘制す。

sui<東京スポーツ>・気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(81) 現日本ハム・吉田輝星擁する金足農の快進撃に、日本中が沸いた昨夏の甲子園。その金足農にはもう一つ「秋田のベストバウト」と称されながら、関係者の間で長らく“タブー”とされてきた伝説の試合がある。1998年夏の秋田大会、5回10点差を逆転した奇跡の決勝戦について「二度と思い出したくない」と語る当時の金足農主将・吉田朋広が重い口を開いた。「うれしい気持ちよりも、苦い思い出。あの試合のVTRは一度も見ていないし、当時のメンバーで集まっても誰も口にすることはありません。正直、今もあまり話したくはないですね」“金足農旋風”から20年前、日本中の球児が打倒・松坂に燃えていた夏。秋田ではひっそりと、伝説の試合が幕を開けていた。甲子園をかけた秋田大会決勝、カードは前年決勝と同じ金足農―秋田商だった。「前の年は2―17で大敗。でも、そこまで力の差は感じなかった。新チームになってからは2勝2敗で、いずれも大差での勝負。だから、流れが動いたら誰にも止められない試合になるだろうなという予感はありました」金足農は立ち上がり、秋田商のエース・伊藤を打ち崩し、3回までに6点を先制。序盤の大量リードも、捕手の吉田にはまるで勝った気がしなかった。案の定、秋田商がジワジワと追い上げ、5回には打者16人12得点の猛打を浴びる。この時点で6―16。決勝でなければ、コールドゲームが適用される点差だった。「もう真っ白ですよ。どこに構えても打たれて、ワケも分からずぼうぜん自失。私はその時点でもう諦めていて『あと何点取られるんだろう。30点かな? 恥ずかしいな』なんて考えていた。でも、全員が諦めてたわけじゃなかった」代わった3番手・2年生右腕の北嶋が好投すると、打線が奮起。7回に2点、8回にはランニング満塁本塁打で4点を加え、4点差まで追い上げる。9回に二死から5点を挙げ、ついに逆転。吉田も号泣しながらナインと抱き合った。だが、ドラマはここで終わりではなかった。9回裏、秋田商の攻撃。先頭打者の邪飛を追った吉田は、秋田商のベンチ前に飛び込む。顔を上げると、悲壮感に満ちた秋田商ナインと目が合った。「お前らも意地見せろ!」気づけばスタンドに響くほどの大声で、秋田商ナインにげきを飛ばしている自分がいた。「ライバルですけど、選手同士すごく仲が良かった。それもあって、あそこで諦めてほしくなかったんです。敵を励ますなんておかしな話ですけど、それでもし逆転されていても後悔はなかった。まあ、あれで最後の最後まで粘られることになったんですけど」二死走者なしから粘られて一、三塁に。一打逆転サヨナラもある場面で、ラストバッターを打ち取り勝敗は決した。スコアは17―16。金足農18安打、秋田商21安打の壮絶な打撃戦が幕を閉じた。「あの試合、自分は途中で諦めてしまった。投手陣もあれだけ打たれて、いい思い出はないでしょう。秋田商のことを思うと、自分たちが勝ってよかったのかという思いもある。あの場にいた全員にとって苦い思い出で、自分たちも相手も監督も、誰もあの試合のことは話さない。話したくない、話しちゃいけない試合なんです」あの決勝の話題はいつしかタブーとなってしまったが、昨夏の母校の大躍進がカタルシスとなることを願う。「秋田ではあの決勝が一番と言われることが多かったですが、私としては一番にしてほしくない、早く忘れてほしい試合。それを去年の金足農が昇華してくれました。これをきっかけに、もう話題になることがなくなれば…」長らく秋田のベストバウトとされながら、当事者たちが語るのをためらってきた奇跡の大逆転劇。新たな歴史が伝説を風化させるその前に、最後にここに書きとどめておきたい。☆よしだ・ともひろ 1980年8月9日生まれ、秋田県秋田市出身。高清水小4年のとき、捕手として野球を始める。将軍野中では軟式野球部に所属。金足農では主将兼捕手として3年夏に甲子園出場。卒業後は社会人野球のJR東日本秋田支社でプレーし、2005年に現役引退。現在は秋田総合車両センターに勤務。170センチ、74キロ。右投げ右打ち。https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/1297240/

平成10年夏秋田大会決勝戦 金足農劇的逆転、17-16で秋田商との死闘制す。

金足農 代打金田一浩選手(3、合川) 値千金の同点打。
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朝日新聞バーチャル高校野球/ 再会の 金足農 吉田朋広、秋田商 佐藤一弘選手。

平成10年夏秋田大会決勝戦 金足農劇的逆転、17-16で秋田商との死闘制す。

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<昭和45年/八郎潟中学校> 猛練習と高原・小野の2枚看板で掴んだ全県優勝。

hat小中併設校化(20年度開設予定)に向けた八郎潟中学校舎改修に2億7319万円計上。【2016.8.31】平成28年第82回秋田県大会決勝 八郎潟 2-1 秋田北、八郎潟46年ぶりの優勝。【2014.1.22】昭和45年夏、八郎潟町立八郎潟中学校は、右上/高原宏と右横/小野巧の両主戦投手を擁して全県初制覇。県大会では、河辺に2-0、東能代に2-0、太田に6-0、決勝は大会前の優勝候補秋田西に3-2と準決勝以外は接戦だったが、地区予選はもっと苦戦した。地区予選決勝 (対天王) は、延長14回0-0の翌日再試合となり逆転で勝利するという薄氷を踏む予選突破だった。本格派高原投手 (右/右、昭和48年秋田高で甲子園出場) は、左足を高く上げトップでグラブと手が離れるフォームで、後年の高松直志投手 (左/左、能代) に先んずる独特の投球フォームだった。

1995(平成7年)第48回秋季東北地区高校野球大会 秋田-盛岡大付(岩手県営)。

-地元盛岡大付との2回戦、完全アウェー状況で観戦-
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能代商スーパー中継プレーでサヨナラ負けを2度阻止 (甲子園、観衆47,000人)。

松山商矢野外野手本塁バックホームに匹敵するプレー 

1988(昭和63年) 第54回秋田県少年野球大会 決勝戦 城南-山内 実況・解説。

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1986(昭和61年)第33回春季東北高校野球大会 決勝 経法大付-本荘 (岩手)。

春季東北大会 経法大付-本荘 激雨の決勝戦 (引き分け両校優勝)
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左/本荘 阿部光投手(2、象潟) 右/経法大付 水沢英樹投手(2、生保内)
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朝日新聞/全国高校野球大会都道府県別ベストゲーム(秋田県、1915~2018)。

2005(平成17年)秋季東北大会 / 秋田商 佐々木弘史主将逆転サヨナラ本塁打。

sasaki平成30年度第71回秋季東北大会、秋田県勢地元開催の利生かせず。秋田県開催で県勢が優勝したのは平成17年の58回大会が最後。【2014.12.23】平成26年度限りで社会人野球(パナソニック)勇退。・平成17年第58回秋季東北地区高校野球大会 (10/7~、秋田市)、秋田商45年ぶり4度目の優勝を決めた9回裏 (一死一塁工藤、二塁石田) で光星学院桑鶴投手から放った3番佐々木弘史選手 (172/78) のフルスイング、自身初となる逆転サヨナラ3ラン (右翼席)。まさに 「頼れる主将」 を実証した一撃。<平成17年秋季東北大会秋田商登録選手> 佐藤洋(2.羽城)、鳥井将(2.八郎潟)、○佐々木弘(2、左左、178/78、八郎潟)、七尾理志(2.桜)、石田尊(2.仙南)、工藤辰文(2.五城目一)、寺門寛(2.山王)、浅野友人(2.五城目一)、小山田聡太(2.男鹿東)、白旗瞬(2.太田)、佐藤信(1.出羽)、渡邉裕之(2.勝平)、三浦亮(2.外旭川)、平岡達也(1.神代)、吉田公(1.八郎潟)、三浦祏也(1.河辺)、石井和仁(2.八郎潟)、斉藤優斗(2.将軍野)、煤賀一志(2.太田)、鈴木信吾(1.六郷)、[責]半田祐介、[監]小野平、[記]伊藤慎平。【2010.6.04】全日本大学野球連盟は、世界大学野球選手権の選考合宿を平塚球場で行う。秋田県関係では横浜商大佐々木弘史選手(4、秋田商)が参加。[評価]上背はそれほどないが、力強く高校時代から勝負強い打撃、広角に長打が打てる。

2018(平成30年度)福井国体 金足農-常葉大菊川 吉田投手自己最速152km。

過去甲子園150km以上記録26人、うち24人ドラフト指名(20人1位)
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1998(平成10年)第80回全国高校野球大会岩手大会1回戦 遠野-岩谷堂農林。

記録に残る試合 / 1991(平成3年) 甲子園大会 秋田-大阪桐蔭 9回二死から。

akita「高校野球心に残る名勝負・名場面」 大アンケートで取り上げられた試合。【寸評】土壇場9回二死から追いついた大阪桐蔭は延長11回に沢村がサイクル達成の決勝本塁打。【2009.5.22】平成3年8月17日、甲子園初戦で相手の悪送球で北嵯峨にサヨナラ勝ちを収めた秋田(秋田大会優勝候補筆頭は中川、齋藤を擁する経法大付)は、続く優勝候補大阪桐蔭戦でも9回二死まで理想的な試合運びでほぼ勝利を手中に収めかけていた。ドラフト候補背尾投手の不調を突き、初回菅原勇輝の本塁打と連打で3点先制、投げても菅原朗仁が制球抜群で相手強力打線につけ入るスキを与えず8回終わって3-1。9回ドラフト候補荻原選手も倒れて勝利目前と思われたが、二死からの相手下位打線の悪夢の4連打で同点に追いつかれ、結局、延長11回3-4の逆転負け(北嵯峨戦スコアも4-3)。菅原朗仁の頭脳的投球が光った試合。秋田高はベンチ入り1、2年生が10人の若いチーム(試合時間2時間24分)。 秋田高校先発、[遊]千田匡(3、五城目一)、[三]戸賀瀬直紀(2、大内)、[捕]菅原勇輝(2、大潟)、[一]石井俊誉(2、泉)、[投]菅原朗仁(3、大潟)、[右]浅野太一(2、土崎)、[中]渡部喜一(3、秋田東)、[二]○佐藤幸彦(3、城東)、[左]平泉慶一郎(3、十文字)、小玉義幸(2、五城目一)、伊藤大輔(3、秋大付)、沢井直豊(3、城東)、伊藤慎作(2、秋田南)、嵯峨育生(2、下北手)、川村寿(1、八竜)、近藤八雲(2、五城目一)、佐々木優(2、秋田東)、[監]小野巧。

1991(平成3年)夏高校野球選手権大会 秋田高校-大阪桐蔭、観衆47,000人。

菅原勇輝、勇正選手 共に甲子園出場

朝日新聞 バーチャル高校野球 / 平成3年高校野球選手権大会 秋田-大阪桐蔭。

toin全国高校野球選手権大会3回戦の相手は大阪桐蔭。これまでに夏の甲子園を4度制した強豪だ。初優勝したこの大会で、最も苦しめたのが秋田だった。8回を終え、秋田が3-1とリードしていた。九回2死まで追い込んだが、粘る相手に安打を許した。その瞬間、空気が変わったと感じた。「相手の地元。1回にうちが3点を取った時は球場がシーンとなった。それが1本の安打でウワーッとなった」 エースの菅原朗仁がまさかの4連打を浴びて追いつかれた。だが、本当にうなったのは、次の10回の秋田の攻撃のとき。、「二死ながら走者を二塁まで進め、サヨナラ勝ちのチャンス。ここで佐藤幸彦主将がセンター前に安打を放った。『よし、サヨナラだ!』 と思いました」 だが、大阪桐蔭の守備は鍛えられていた。ストライク返球で、本塁へ突っ込んだ走者がアウトに。「ここまでやっても勝てないのか……」 と唇をかんだ。 逆に11回、勝ち越し本塁打を沢村通選手に打たれて力尽きた(大会史上3人目のサイクル安打)。

記録残る試合/1984(昭和59年)第66回甲子園大会 準決勝 金足農-PL学園。

Scan10001<日本農業新聞より> 秋田市の勤務先のテレビで観戦した大山等さん (51)。同校が第66回大会 (1984年) に出場し、ベスト4入りを果たした中心メンバーだ。卒業後の現在、農家として水稲を栽培する傍ら、同県立栗田支援学校で農業実習助手を務める。34年前は準決勝まで勝ち進み、当時最強を誇った桑田真澄清原和博両氏を擁するPL学園と激突。大山さんは初回、桑田氏を強襲する内野安打を放ち、その後、先制のホームを踏んだ。試合は7回までリードするも8回に桑田氏の逆転2ランを浴び、2-3で惜敗した。大山さんはこの日、ナインの一挙手一投足に熱い視線を送り続けた。試合終了後、テレビに映し出される金農ナインとともに悲願だった校歌を歌った。「甲子園での校歌は何度歌ってもいいものだ。このまま 『金農旋風』 を巻き起こし、34年前のベスト4を塗り替えてほしい」。あと一歩で破れ、成し遂げられなかった決勝進出の “夢” を現役世代に託した。【2011.12.16】スポーツ誌の 「高校野球心に残る名勝負・名場面大アンケート」 でも取り上げられている秋田県民周知の試合。その(寸評)は、初陣金足農に土壇場まで追い詰められたPL学園が8回桑田の逆転2ランで劇的勝利。<金足農業高校登録選手>[投]水沢博文(3、秋田北)、[捕]○長谷川寿(3、五城目一)、[一]鈴木善久(3、五城目一)、[二]佐藤俊樹(3、船川)、[三]大山等(3、琴丘)、[遊]工藤浩孝(3、八郎潟)、[左]原田好二(2、船川)、[中]斎藤一広(3、雄和)、[右]柏谷安彦(3、秋田北)、半田英生(3、井川)、佐藤学(3、天王)、加賀谷宏基(3、男鹿東)、安田徹(2、男鹿東)、伊藤仁(3、船川)、山崎里史(3、下浜)、浅野和幸(3、井川)、小玉勇樹(2、五城目一)、[監]嶋崎久美。

記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

huzoku甘いマスクが特徴の長身投手で、花輪二中時代すでに身長183cm。平成15年夏甲子園予選、第2シード秋田経法大付(古窪敬一監督)は、準々決勝(対平成戦)で1年生佐藤卓真(東京ガス、西仙北東)を先発、2番手菅原圭介(3、羽城)の後を受け、木村投手は急遽3番手で登板し、10奪三振を奪ったものの野手の失策も響きよもやの3-6で敗戦。平成高校は快心の勝利、それとは対照的に秋田経法大付は全てにカラ回りの状態で、チーム全体がリズムにうまく乗れない時の歯がゆさ、苦しさを肌で感じた試合だった。ドラフト候補木村雄太投手(左左、189/77)の最後の夏は想定外の消化不良のままで終わった。(秋田県北部花輪地区から好投手多数輩出)。<平成15年夏 秋田経法大付登録選手> [投]木村雄太(3、花輪二)、[捕]今野福太郎(2、本荘南)、[一]○川北篤志(3、金浦)、[二]小笠原和也(3、十和田)、[三]斉藤祐太(3、羽後)、[遊]阿部隆雄(3、能代二)、[左]菅原慧(3、秋大付)、[中]高橋純(2、塩釜一)、[右]佐藤大(3、泉)、菅原圭介(3、羽城)、高橋洋大(3御野場)、田中雄也(3、二ツ井)、長谷川一斗(2、桜)、佐久間努(2、中山)、鈴木康太(2、多賀城)、餅祐介(1、多賀城二)、浅沼俊晃(3、大潟)、佐藤卓真(1、西仙北東)、工藤勝秋(1、能代二)、佐藤裕平(2、大曲)。

記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

左 / 菅原圭介投手 (3、羽城)、右 / 木村雄太投手 (3、花輪二)
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記録に残る試合 / 昭和54年度 全国高校野球秋田大会 準々決勝 能代-金足農。

nosirokananou昭和54年7月29日の甲子園秋田大会準々決勝 能代-金足農 (秋田市営八橋球場) は、必ず語られる伝説の一戦 (スコアブックは中継放送を基に作成、放送は試合中途で終了)。その試合の異様さは、出場していた能代高校畠山親浩選手が卒業後に 「能代高校記念誌」 に寄せた一文にも見てとれる。「、、、(略)、、準々決勝の金足農戦に於いて大雨の中試合を続行、序盤から点の取合いとなり8回日没コールドで勝利したが、応援席の興奮が収まらず物が飛び交い球場から出られず警察の誘導で帰ったことが忘れられない。、、(略)、、」

記録に残る試合 / 昭和54年度 全国高校野球秋田大会 準々決勝 能代-金足農。

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1992(平成4年)甲子園秋田大会決勝 能代-金足農 / 9回裏 成田昇-下間康貴。

nokane1992 (平成4年) 第74回甲子園秋田大会決勝戦は能代-金足農に。5対5の同点で迎えた8回表、能代は池端裕司選手 (2、二ツ井) の右中間二塁打で6-5とし、決着を付けたかと思われたが、9回裏に金足農が一死一・三塁の好機をつかみ、打者は2年生ながら主軸を担う下間康貴 (男鹿東) の場面に。能代絶対絶命のピンチに成田昇 (3、峰浜) -加藤隆光 (3、琴丘) のバッテリーが死力で下間を捕邪飛に討ち取り、甲子園切符を手中にした。金足農嶋崎久美監督も 「スクイズは考えなかった」  という力と力の見ごたえある対決だった。この年は中学軟式野球も能代二中が全県優勝。・秋田大会8強 能代、金足農、本荘、秋田工、西目、鷹巣農林、秋田修英、湯沢商工。・準決勝 能代5-2本荘、金足農12-8秋田工、・決勝 能代6-5金足農。※第74回大会から甲子園球場ラッキーゾーン撤去

1984(昭和59年)全国高校野球選手権秋田大会決勝 金足農-能代(八橋球場)。

アウトと勘違いしベンチに戻りかけた迷走が相手野手陣のミス誘発
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スポニチ紙連載 / 新浦壽夫投手の昭和43年夏甲子園大会 静岡商-秋田市立。

newchuuou日刊スポーツ / ドラフト 「国籍」 消滅 静岡商・新浦投手 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-00263656-nksports-base ・スポニチ紙連載 「我が道、新浦壽夫(5)」 1968 (昭和43年) 第50回夏甲子園大会。 準々決勝は秋田市立 (秋田) に5-1。9安打を許し、5四死球を出しながら、よく守ってもらい最少失点にしのいだ。 <昭和43年夏 秋田市立 登録選手> 秋田市立7-2市神港、7-2智弁学園、1-5静岡商、[投]鎌田忠和、[捕]竹谷正作、[一]吹田清、[二]保坂正美、[三]笠原良一、[遊]佐藤道世、[左]中島義博、[中]浅野光博、[右]松橋博則、小松茂美、高橋千秋、三浦正行、五十嵐洋一、船木隆悦、[責]虻川庄治郎、[監]長谷川光佑。

秋田県高野連会長歴任佐藤茂選手 短かった昭和47年高校3年夏 秋田-能代工。

akita2008(平成20年)日本高野連地方大会功労者。 <当時の紹介記事より> 秋田県高野連 佐藤茂会長 (金足農校長) は自らも甲子園に憧れた球児。1972 (昭和47年) 夏、創立99周年秋田高校佐藤茂選手 (3、三、右/右、176cm、雄和中) は俊足好打の1番打者。この年の秋田高校は、春季秋田県大会を制し、続く春季東北大会も優勝、当然に夏の甲子園秋田大会は第1シードで、「夏は戦力充実の秋田で決まり」 と周囲は信じて疑わなかったた。 ところが、初戦の能代工にまさかの3-11のコールド敗退 (勝者能代工も次戦でコールド敗退)、終盤に大量点を奪われ、打線も全くつながらなかった。点差同様に終始能代工の気迫に押されぱっなしで春季秋田県王者の面影は全くなかった。初戦の勝利を疑わずに自主応援ということもあり閑散としていた応援席も大差の敗北に信じられない様子 (筆者もスタンド観戦)。佐藤会長は、「高校野球は技術だけではない。それを教えてくれた試合だった。ただ、甲子園に届かず、中途半端に野球が終わってしまった。なら、あきらめない野球を高校生に教えたい」 と教師を目指して東京教育大体育学部へ進学。平鹿・横手・西仙北等の監督歴任。

<記録に残る試合> 1996(平成8年) 秋田商業高校-鷹巣高校 因縁の2試合。

●平成8年5月24日(金)春季秋田県大会 1回戦(八橋球場) 秋田商 5-4 鷹巣・・・・延長11回サヨナラ、[秋田商]佐々木忍、根元、三浦-太田、[鷹巣]小笠原-村上、[本]武石(鷹)先頭打者本塁打、[二]長浜谷(秋)サヨナラ二塁打。●平成8年7月24日(水)甲子園秋田大会 準々決勝(県立球場) 秋田商 6-5 鷹巣・・・・逆転サヨナラ、[秋田商]阿部、三浦、石川-太田、[鷹巣]小笠原-村上、鷹巣あと一死で勝利からの秋田商怒涛の5得点劇的逆転サヨナラ。<2試合の共通項> ・再戦がちょうど2ケ月後の同日、 ・劇的サヨナラゲーム、・鷹巣が先制し秋商が追う展開、・鷹巣小笠原の熱投及ばず、・試合時間が3時間18分・エースナンバーは「洋平」。秋田商登録選手、[投]三浦洋平(3、秋田南)、[捕]太田直(2、雄勝)、[一]阿部孝彦(3、秋田西)、[二]mark田護(3、城南)、[三]羽川洋介(2、田代)、[遊]佐々木雄志(1、勝平)、[左]中島義明(3、飯島)[中]佐々木義人(3、河辺)、[右]○長浜谷直樹(3、土崎)、田近直樹(3、城南)、石川雅規(2、秋田北)、五十嵐清文(3、秋田南)、根元喬(3、稲川)、吉田保男(3、城南)、大石元(2、五城目一)、米山学扶(3、城南)、熊谷豪(2、城東)、沢田石敏英(2、五城目一)、[責]上杉清博[監]小野平、[記]佐藤正和(3、能代一)。鷹巣登録選手、[投]小笠原洋平(3、合川)、[捕]○村上飛雄馬(3、鷹巣)、[一]中田崇(2、上小阿takanosu仁)、[二]畠山慎(2、二ツ井)、[三]金野修(3、二ツ井)、[遊]三浦知之(3、合川)、[左]田敏幸(3、鷹巣)、[中]武石鐘次(3、上小阿仁)、[右]高橋愛郎(2、二ツ井)、佐々木勝美(3、二ツ井)、庄司幸太(1、森吉)、畠山太彰(2、鷹巣南)、田中旭(2、藤里)、石橋将樹(2、森吉)、平沢英幸(2、森吉)、成田和也(2、鷹巣南)、安井豪(2、二ツ井)、北林直樹(2、森吉)、[責]高橋淳、[監]野中仁史、[記]石崎将樹(2、森吉)。

朝日新聞バーチャル高校野球/ 「運」 は5度やって来た 成田昇さん(能代-日大)。

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1976(昭和51年)第58回全国高校野球大会 奥羽代表秋田商-天理(甲子園)。

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<記録に残る試合>2006(平成18年)7月17日 本荘-秋田商(グリスタよこて)。

gsyokote-2第88回全国高校野球選手権秋田大会3日目の7月17日、秋田商-本荘の2回戦を観戦しようと大勢のファンが詰め掛けた。春センバツ8強秋田商と18年ぶりの優勝を狙う第3シード本荘の大会序盤屈指の好カードということで、午前10時の試合開始前から入場券を求める観客が長蛇の列。午前8時半に由利本荘市の自宅を出たという男性(52、公務員)は球場に到着するとともに行列を目にし、「びっくりした。プロ野球でも考えられないような雰囲気」(新聞報道)。同スタジアムによると、この試合の入場者数は約6,000人。平成14年7月に行われたプロ野球イースタンリーグ・巨人-日本ハムの約5,500人を越え、同スタジアムでは最多の入場者数。試合は、本荘が応援スタンドも含め終始秋田商を圧倒し、球場は異様な雰囲気に。シードでこの試合初戦となる秋田商に必要以上の固さも見られ、本荘先発高橋の変化球(スクリュー)と直球のコンビネーションに惑わされ打線は散発5安打の完封負け(0-2)で3連覇の夢が絶たれた。入場券求めてとにかく並びに並んだ試合、球場内は試合開始前からヒートアップ (特に本荘サイド)。謙太、徹の本荘W鈴木選手がチームを牽引。<秋田商先発>[中]石井和仁(3、八郎潟)、[遊]工藤辰文(3、五城目一)、[一]○佐々木弘史(3、八郎潟)、[三]浅野友人(3、五城目一)、[右]小山田聡太(3、男鹿東)、[捕]鳥井将(3、八郎潟)、[左]寺門寛(3、山王)、[二]石田尊(3、仙南)、[投]佐藤洋(3、羽城)、白旗瞬(3、太田)、佐藤裕信(2、出羽)、渡辺裕之(3、勝平)、三浦亮(3、外旭川)、平岡達也(2、神代)、七尾理志(3、桜)、高橋拓己(1、将軍野)、煤賀一志(3、太田)、草彅一成(1、神代)、足利次郎(1、河辺)、吉田公(2、八郎潟)、[責]半田祐介、[監]小野平、[記]伊藤慎平(3、出羽)。<本荘先発>[三]東海林潤(3、本荘北)、[中]菅原勇太(3、本荘北)、[遊]鈴木謙太(3、本荘南)、[捕]○鈴木徹(3、本荘南)、[左]佐々木貴晃(3、由利)、[二]三浦健徳(3、仁賀保)、[右]伊藤卓(3、本荘南)、[投]高橋佑輝(3、本荘北)、[一]大平謙太朗(3、矢島)、田口達也(3、本荘北)、吉田大樹(1、出羽)、土田宗(3、矢島)、伊藤昭平(3、大内)、伊藤隆史(3、大内)、佐藤豪(3、東由利)、柴田雄介(3、本荘南)、鈴木友太(3、本荘南)、遠田伸一(3、仁賀保)、小松真文(2、本荘南)、麻生新(2、矢島)、[責]斉藤尚史、[監]尾留川徹、[記]伊豆しほり(3、本荘南)。

<記録に残る試合>2006(平成18年)7月17日 本荘-秋田商(グリスタよこて)。

本荘高校 上体を前後に激しく揺らす 「反り」 も試合リードで最高潮に
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<記録に残る試合>2006(平成18年)7月17日 本荘-秋田商(グリスタよこて)。

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2007(平成19年) 第62回国民体育大会高等学校野球(硬式) 金足農-佐賀北。

2007(平成19年)10月7日 金足農-佐賀北(こまちスタジアム)
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2017(平成29年度) 第99回全国高校野球秋田大会 秋田商-大館鳳鳴(八橋)。

7/15 秋田商逆転サヨナラ勝利

2018(平成30年度) 第66回春季東北地区高校野球秋田県大会 大曲 4強進出。

日刊スポーツ新聞社東北取材班https://twitter.com/nikkan_tohoku
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朝日新聞バーチャル高校野球/ 平成3年第73回甲子園大会初戦 秋田-北嵯峨。

kit朝日新聞バーチャル高校野球> 1991年の第73回大会に秋田県代表で出場したのは、古豪秋田高校だった。当時、甲子園でベンチ入りできる選手は15人。スコアラー枠はなかったが、初戦の京都北嵯峨戦で、背番号 「14」 をつけたスコアラーがいた。3年生だったマネジャー 佐々木修宏さん(46)だ。「秋田から関西の宿舎へやって来たあと、小野巧監督が選手を車座に座らせ、ベンチ入りメンバー一人ひとりに背番号を配ります。『14番、佐々木修宏』 と呼ばれて手渡された時は、震えて泣きました」2年生の夏前、選手からマネジャーに転身した。ノッカーや打撃投手のほか、データ集めや分析などグラウンド内外でチーム強化に努めた。貴重な選手枠を削ってベンチ入りさせた理由を、小野監督は 「お前がいないと困るからだ」 と佐々木さんに伝えた。試合は一進一退の展開となった。北嵯峨の投手は、後にプロ入りし、横浜などで活躍した細見和史選手。京都大会では防御率ゼロという速球派投手だったが、先行したのは秋田だった。5回裏、主将の佐藤幸彦選手の適時打などで2点を奪う。「直球を右へ打て」という小野監督の狙いが当たった。だが、北嵯峨も食い下がる。直後の六回表に失策絡みで追いつかれた。秋田は七回裏、暴投の間に勝ち越したが、勝利目前の九回表、四球から好機を作られて同点とされた。土壇場で追いつかれても、ベンチに悲壮感はなかった。「エラーは出るものだし、エースの菅原朗仁だって0点で抑え続ける投手じゃない。むしろ、いつもの力通りに投げていた。色々自分で考え工夫しながら投げるタイプで、その良さが試合で出ていた」「これで、勝つなら必ずサヨナラ勝ちになったなあ」。9回裏の攻撃前、ベンチでは選手たちがそんな言葉を発していた。余計な重圧を感じることなく、秋田の選手は勝利を引き寄せた。一死から佐藤選手の安打と二盗で走者を得点圏に。代打の小玉義幸選手の内野安打と悪送球の間に佐藤選手が滑り込んで生還--。サヨナラ勝ちの瞬間、ベンチから選手全員が飛び出した。もちろん佐々木さんも、書きかけのスコアブックを放り出して飛び出した。整列とあいさつ。そして、毎日の練習後グラウンドで円陣になって歌う校歌を、この日は一列になってやや上を見ながら歌った。「僕はベンチに近い位置に立って歌ったと思う。やっぱり、甲子園で歌う校歌は格別でした」。この一戦は、前身の秋田中が第1回大会で京都二中に敗れて以来、初めて県勢が京都勢に勝った試合だった。また秋田にとっては夏の甲子園で挙げた26年ぶりの勝利だった。あれからさらに27年。「北嵯峨戦が、秋田にとって甲子園での最後の勝利。大舞台で勝った後の校歌をまた聞きたいですね」。後輩たちに思いを託す。(山田佳毅) ※ささき・のぶひろ 秋田市生まれ。秋田高を卒業後、秋田市役所職員に。現在は市観光振興課主席主査。同市役所の野球チームで野手としてプレーする。家族は妻と長男。朝日新聞バーチャル高校野球

朝日新聞バーチャル高校野球 / 平成25年第95回秋田大会決勝 秋田商-角館。

sugi杉谷汰一選手 平成30年~猿田興業(軟式)。2012年第94回全国選手権秋田大会をサヨナラ勝ちで制した秋田商は、翌年の大会も決勝に進んだ。だが優勝候補ではなかった。前年の主力のうち、レギュラーで残ったのは主将の杉谷汰一選手だけだった。「史上最弱と言われたチーム。勝てなかった」。前年の秋、この年の春の大会は早々に敗退。夏はノーシードからの戦いだった。強みは杉谷選手を中心にまとまったことだ。「おれについてこい、と背中で語る主将。僕も他の選手も信頼していた。連覇したいという気持ちが、杉谷から周りに少しずつ伝わっていったんだと思う」 角館との決勝は延長にもつれ込み、15回まで進んだ。監督として経験したことのないイニングだった。3-3で迎えた十五回表の守り、秋田商はピンチに立たされる。一死三塁、スクイズを仕掛けられた。だが捕手への小飛球となり、併殺で窮地を脱した。「助かったのは運だけ」。守備から戻った選手が円陣を組むと、「再試合だぞ。よく頑張った」 と声をかけた。2年生エースの佐々木泰裕投手は全イニングを投げきった。翌日のことで頭がいっぱいだった。ただ、1人だけ監督の言葉を聞いていなかったのが、その回の先頭打者で、打席に入る準備をしていた杉谷選手だった。その主将が口火を切る右前安打。1死満塁で三塁走者になると、三浦大貴選手の浅い右犠飛で足から突っ込み、甲子園への切符をもぎ取った。2大会連続のサヨナラ勝ちだ。「三浦の打席で、『 (飛球になりやすい) 右方向へ打て!』 と指示したら、三浦が手をひらひらさせて『わかってますよ』みたいなしぐさをしたんです」「こいつー、と思ったけど、あとでビデオを見ると、先に三塁走者の杉谷が何か指示している。多分、『フライを打て。おれは突っ込むから』 だったんでしょう。選手同士がしっかり了解を取り合っていた。だから迷いが生じなかった」 選手の顔ぶれは毎年変わる。だが、みんな個性的だ。「試合の勝ち方は無数にある。でも、全体で目標に向かっていくようにするやり方は、そんなに多くはないと思う」。太田監督は就任10年間で、少しずつそれがわかってきたという。(山田佳毅) 朝日新聞バーチャル高校野球

昭和58年 秋季東北高校野球大会 決勝戦 金足農-大船渡 延長16回の白熱戦。

oo訃報 / 半田英生選手逝去。1983 (昭和58年) 10月12日、第36回秋季東北地区高校野球大会決勝戦 金足農-大船渡 (岩手県営)は、延長16回の白熱戦となり岩手県代表大船渡が優勝、金足農の東北初制覇の夢は持ち越しに 。試合は金足農が序盤の2回に2点先制も大船渡が4、5回に1点づつ返し試合は延長戦に、16回の表、大船渡が逆に2連続二塁打で逆転、金足農もその裏、鈴木の適時打で1点差と詰め寄るも後続が併殺打で試合終了、金野・水沢両投手完投、試合時間3時間56分、無失策試合、大船渡4番鈴木選手水沢投手から本塁打、[金足農](三塁打)水沢、(二塁打)工藤2、水沢。<平成58年秋東北大会決勝戦金足農先発> [三]大山等(2、琴丘)、[中]斎藤一広(2、雄和)、[遊]工藤浩孝(2、八郎潟)、[投]水沢博文(2、秋田北)、[捕]○長谷川寿(2、五城目一)、[一]鈴木善久(2、五城目一)、[左]山崎里史(2、下浜)、[二]小玉勇樹(1、五城目一)、[右]柏谷安彦(2、秋田北)、石塚昭彦(1、河辺)、安田卓(1、秋田北)、半田英生(2、井川)、石田則嗣(1、秋田北)、佐藤学(2、天王)、小玉文隆(1、羽城)、佐藤俊樹(2、船川)、浅野和幸(2、井川)、館岡明(1、五城目一)、原田好二(1、船川)、小林誠(1、秋田南)、[部長]豊島君男、[監督]嶋崎久美、[記録]鳴海猛(2、八郎潟)。

記録に残る試合/センバツ大会に近かった平成21年秋季東北大会4強本荘高校。

21新型インフル感染に象徴された2009 (平成21年) 第62回秋季東北地区高校野球大会、期待された秋田県第2代表金足農もその影響を受け、主力選手の欠場が響き初戦で敗退。第1代表本荘は、初戦青森山田に3-2 (岡本→高橋)、続く準々決勝光星学院に5-3 (高橋) で勝利し、準決勝で12人で臨む秋田商に勝利すれば春センバツはほぼ当確の状況だった。試合は投手戦 (本荘4安打、秋商5安打) となり、初回二死からの1点が重くのしかかり0-1の完封負け (仙波→岡本)。本荘は、初回、2回、3回、最終回の好機に1本が出なかった。本荘の大会初戦となった対青森山田戦を観戦したが、球場内完全アウェー状態 (青森県開催) で青森私学2強に勝利した点は高く評価したい。<平成21年秋季東北大会本荘高校登録選手> [投]仙波直希(2、西目)、[捕]遠藤良平(2、本荘北)、[一]茂木祥(2、矢島)、[二]須藤大稀(2、本荘南)、[三]畑中貴哉(2、象潟)、[遊]○佐藤修平(2、本荘北)、[左]佐々木将人(2、東由利)、[中]佐々木廉(2、本荘南)、[右]木村卓真(2、本荘南)、高橋京介(1、本荘東)、岡本大(1、本荘東)、矢野翔太(1、岩城)、佐藤未知洋(1、矢島)、佐々木朋紋(2、本荘北)、加藤剛矢(1、本荘東)、植田晋也(2、岩城)、梶原裕作(2、西目)、小松匡(1、仁賀保)、佐々木源(2、本荘東)、金啓太(2、本荘北)、[責]斉藤尚史、[監]尾留川徹、[ノ]鎌田勉、[記]佐藤龍道(2)。

高校試合県内初ナイター / 平成15年秋季中央地区大会決勝 秋田商-秋田中央。

nig平成15年9月8日(月) 秋季高校野球中央地区大会決勝 秋田商-秋田中央(こまちスタジアム)は、登録メンバー20人中、秋田商17人、秋田中央が16人出場の総力戦となり、秋田商が15安打の打線爆発で秋田中央の反撃を振り切り4年ぶりの地区優勝。降りしきる、ぬかるむグランドで、8回裏からは高校生の試合では初めてとなるナイター試合。<秋田商先発選手> [一]○佐々木陽祐(2、角館)、[右]田口嘉秀(1、羽城)、[三]菊地貴朗(2、天王)、[中]吉田良(2、八郎潟)、[左]渡部朗(2、潟西)、[二]伊藤秀平(2、出羽)、[捕]畠山慎太郎(1、金浦)、[投]三浦寛右(1、天王南)、[遊]鎌田将(2、太平)、佐藤剛士(2、上新城)、大高佑公(2、峰浜)、佐々木洋樹(2、西仙北東)、渡邊潤也(2、上新城)、小玉和之(2、八郎潟)、泉谷翔平(2、城南)、佐々木智樹(2、西仙北東)、鈴木潤(1、角館)、松橋亮(1、尾去沢)、大友陽介(1、山王)、三浦俊太(1、羽城)、[責]半田祐介、[監]小野平、[記]佐藤達哉(2、勝平)。<秋田中央先発選手> [左]加賀力哉(1、男鹿南)、[中]渡辺良太(2、山王)、[二]大友洋幸(2、秋田西)、[一]佐藤雄大(1、雄和)、[右]杉沼哲平(1、土崎)、[捕]渡部嘉岳(2、飯島)、[三]黒川諭(2、男鹿東)、[遊]鈴木長康(2、秋田東)、[投]信太悠佑(2、泉)、○小野了(2、秋大付)、金卓史(1、雄和)、田中貴大(2、御野場)、進藤友也(2、泉)、平井旭人(2、協和)、岩谷友倫(2、協和)、鈴木龍宏(1、外旭川)、若狭良平(2、秋田東)、小納谷祐(2、秋田東)、佐藤駿太(2、五城目一)、関健太(1、河辺)、[責]高橋学、[監]塚田博、[記]見上翔(1、飯島)。
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